大幸薬品「正露丸」パッケージ訴訟の考察:経緯

正露丸の歴史は非常に古く、かつ、複雑です。

 

天保元年    ドイツ人化学者カール・ライヘンバッハがヨーロッパブナの木から

         木クレオソートを蒸留

明治36年   戸塚機知三等軍医正がクレオソート剤がチフス菌に対する著明な抑制効果を

         持つことを発見。

明治37年   陸軍衛生材料厰で製剤して配布。

         軍当局は、服用を奨励するため、これに戦争名にちなみ「征露丸」と命名

日露戦争後  帰還将兵により戦陣薬「征露丸」の名称と、その薬効の顕著であることが

         喧伝         

         薬剤の製造販売と名称の使用が民間の製薬業者一般に開放され、

         「征露丸」を使用して同薬剤の製造販売をする業者が数十名に達する

明治38年9月 鳥栖製剤合資会社が「征露丸」を商標登録

明治39年   中島佐一氏が征露丸の製造販売を開始

大正11年   中島氏が商標「征露丸」の共有者になり、他人の「征露丸」の使用を禁止

大正13年8月 日本製薬会社他2社が商標「征露丸」の無効審判請求

大正15年6月 大審院が「征露丸」が胃腸用丸薬の普通名称にあたるとして無効審決

         を支持

昭和12年   浪速製薬が登録商標「セイロ」に基づき中島氏の「忠勇征露丸」を告訴

昭和18年5月 中島氏と浪速製薬が和解し、中島氏の「征露丸」に先使用が認められる

昭和21年   中島氏の相続人から「征露丸」「忠勇征露丸」に関する権利を

         大幸薬品が譲受

昭和22年   第2次世界大戦の統制解除により「正露丸」類似商標が続出、50を超える

昭和24~29年「せいろがん」と呼ばれる医薬品が家庭薬として全国に浸透

昭和29年   中島氏の「忠勇征露丸」製造販売権を継承する大幸薬品

         「セイロガン\正露丸」を商標登録

1955年4月   特許庁に無効審判を請求。

1960年4月   特許庁が申立不成立(つまりは登録維持)の審決

1971年9月   東京高裁が

         「「正露丸」の語、おそらく本件商標登録当時、クレオソートを主材とした

         整腸剤の一般的な名称として国民に認識されていたものというべき」

         と判断し、特許庁が下した審決を取り消す旨の判決

1974年3月  最高裁で確定

1975年10月  特許庁は「セイロガン\正露丸」の登録無効の審決

         (セイロガンの振り仮名のない「正露丸」の商標は、現在も大幸薬品が

         保有している(1959年12月登録、登録番号第545984号))

2005年11月  大幸薬品が和泉薬品工業を相手取って、裁判を大阪地方裁判所に提起

         パッケージが類似した商品を販売することが不正競争防止法2条1項1号

         又は2号の不正競争行為に該当すること、及び、

         「正露丸」商標の使用が商標権侵害に該当すること

2006年7月   大阪地裁は請求を棄却

2006年8月   大幸薬品が大阪高等裁判所に控訴したが、大阪高裁も一審判決を支持

2008年7月   最高裁第2小法廷で上告不受理となり、敗訴が確定

         「正露丸が普通名称であることが再確認された

2011 年10月  大幸薬品がキョクトウ株式会社を大阪地方裁判所に提訴

2012 年9月   大阪地方裁判所が請求を棄却する判決 

          大幸薬品が大阪高裁に即日控訴

2013 年9月   大阪高等裁判所が請求を棄却する判決

2013年10 月   大幸薬品が最高裁判所へ上告